#JCEJ 活動日記

日本ジャーナリスト教育センター(Japan Center of Education for Journalists)の活動を紹介しています!

「紙、ネットという枠に縛られず、伝えることの本質を考えさせられた」大槌みらい新聞活動報告会 参加者レポート

日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)が9月22日(土)に早稲田大学で開催した大槌プロジェクト報告会の様子を「月刊ソトコト」副編集長の小西威史さんに、レポートしていただきました。

【概要はこちらから】

私は今、月刊ソトコトという環境をテーマにした雑誌の編集者をしています。1990年代には地方紙の神戸新聞社で記者もしていました。「紙」で情報を伝える仕事に携わり、20年ほどになります。

神戸新聞社に入社したころ、不特定多数に向けた情報は、新聞社やテレビ局、出版社が発信するもので、極端に言えば、社会に何を伝えるかは、「マスコミ」が決める時代でした。今はネットを使い、誰でも情報を発信できます(今、書いているこのテキストも、まさにそれですね)。国内のみならず、世界中に、言いたいことが一瞬で伝えられる時代になりました。「紙」では地球の裏側にまで伝えることはできません。


今回の「ニュースは紙で伝わった」に参加したのは、マスコミの「特権(もとよりそれが幻想なのですが)」が消え失せた時代にあって、大槌町でわざわざ紙媒体を立ち上げたJCEJの意図や、パネリスト参加される朝日新聞社記者、Yahoo!トピックス編集者の話を聞いてみたいと思ったからです。

当日のパネルディスカッションはJCEJ代表運営委員・藤代裕之さんの「ニュースサイトがあふれるなかで、情報をどう伝えるのか、どうやって発信していくのか」という論題の提示から始まりました。

その後、2時間半近いディスカッションで、私にとっての最大の収穫は、朝日新聞依光隆明さんが冒頭に話されたことです。
依光さんは「デジタルのことはよく分からない」と前置きされたうえで、ネットにあふれる情報は「評論」が多いこと、でもみんなが本当に知りたいのは「ファクト(fact)」であり、きちんとした評論はファクトがあって生まれること、つまり、「ファクトが正しくなければ、いくら評論しようと意味がない」と指摘されました。
「紙」で育った私は、「紙」に書かれたものの背景にある、裏取り(事実確認)の努力や、客観性・公平性への配慮のなされ方が、多少は分かっているつもりです。
紙で伝えようと、ネットで伝えようと、大切なのは「ファクト」であること。あたりまえのことですが、単なる個人の感想であるつぶやきが世を揺るがす一大ニュースのように扱われたり、評論が評論を呼び寄せ、結局、その元に何があったのかが分からなくなるような風潮があるなか、原点を示してくれたように感じます。

また、Yahoo!の伊藤儀雄さんのトピックス掲出にかける思いを聞けたことも収穫でした。
国内の政治や国際問題、そして、芸能・スポーツまで、13文字までの見出しでいつでも8本のニュースが並ぶYahoo!トピックスで、よく読まれるものは、芸能・スポーツやセンセーショナルな事件、事故であるということです。
ただ、同じく新聞記者出身の伊藤さんとして、読んでほしいニュースは芸能・スポーツばかりではなく、被災地の問題などたくさんあり、本当に読んでもらいたいニュースは、繰り返しの掲出をしたり、切り口を変えてみたり、見出しを工夫するとのこと。

たしかに、伝える側の思いと、受け手が読みたいものとのバランスのとり方も大切なのだろうと思います。発信者側からの一方通行では、結局、何も読まれず、何も伝わらないということになります。
 
ネットでは、例えば、強い言葉であったり、刺激がある内容であればあるほど注目度が高まりますし、あふれる言説でもその信頼度は玉石混淆状態です。
ネットメディアのリテラシーについて、もっと語られ、学ぶ場が必要だと思うのですが、今回のパネルディスカッションでは、紙、ネットという枠に縛られず、伝えることの本質を考えさせてくれました。企画されたJCEJの皆さんに敬意を表します。ありがとうございました。
(月刊ソトコト・小西威史)

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