物理的に自由であるが故に、精神的に不自由な現代?
ジャーナリストキャンプでデスク役を務める社会学者・開沼博さんは、そんな「矛盾」を出発点にした取材の切り口を提案しています。
Q:開沼さんが「自由」から思い浮かべることは?
「現代はすごく自由で、そうであるが故にややこしい」
▼「ポジティブ」でない自由?
現代は圧倒的に「自由」である。物理的・社会的な移動の可能性はかつてなく高まり、戦争や犯罪に巻き込まれることも少ない。ただ、そういうと違和感がある人もいるでしょう。「自由」っていうのは人の心を開放し、抑圧感をなくすものであるはずだ。にも
関わらず、そうなっていないではないか、と。でも、統計的に、制度的に見れば「自由」になっていると言わざるをえない。物理的には「自由」であるのに、精神的に「自由」を感じられない。この矛盾の背景にあるのは「自由」という言葉がポジティブであると多くの人が思い込んでいることがあります。じゃあ、ネガティブな「自由」なんかあるのか?
そこで思い起こすべきなのは「無縁」という概念です。「無縁仏」「無縁社会」これはものすごいネガティブです。薄暗くて孤独で。でも、あらゆる縁・しがらみから開放され、うざい何かから逃れている状態。それって「自由」じゃないですか?
そう見た時に、「自由−無縁」という結びつき、その上にある現代のややこしさが見えてくるはずです。ここをファクトを持って深堀りする視座が、「現代とはなにか」という大きな問いにつながるでしょう。そんな記事を作れればと思います。
開沼さんは著書『漂白される社会』の冒頭でも、「自由」について書かれています。社会学者ならではのアプローチに基づいて取材を進めれば、これまでにない視野が拓けるかも知れません。
<開沼博プロフィール>
かいぬま・ひろし 福島大学特任研究員。1984年生まれ、福島県出身。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了後、同博士課程在籍。復興庁東日本大震災生活復興プロジェクト委員。著書「『フクシマ』論 原子力ムラはなぜ生まれたのか」が2011年、毎日出版文化賞を受賞。その他著書に『漂白される社会』『フクシマの正義 「日本の変わらなさ」との闘い』など。
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