#JCEJ 活動日記

日本ジャーナリスト教育センター(Japan Center of Education for Journalists)の活動を紹介しています!

現場に飛び込み、仮説を崩せ 伝えるべき「第三の現実」 〜パネルディスカッション報告(1)〜

日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)は6月1日、パネルディスカッション「『フクシマ』という虚像を壊す 〜被災地のいまを伝える新たな取材手法〜」(法政大学社会学部共催)を開催しました。5月上旬に行われた「ジャーナリストキャンプ福島2013」の成果報告を兼ね、取材者としてどう被災地と向き合うべきかについて考えるとともに、新たな取材方法として注目されつつある「データジャーナリズム」にも焦点を当てました。豪華ゲストを迎えたディスカッションの様子を、2回に分けてお伝えします。

  • 「ジャーナリストキャンプ福島2013」についての概要はこちら

実力派デスクと腕を磨く3日間 「ジャーナリストキャンプ福島」を開催


第一部のテーマは「固定化される言葉に挑む取材とは」。ジャーナリストキャンプでデスクを務め、ブログ「余震の中で新聞を作る」で被災地の今を発信し続ける河北新報編集委員・寺島英弥氏と、話題を呼んだ著書「フクシマ論」をはじめ、社会学者・ジャーナリストとして、社会の常識に本質的な問いを投げ掛ける福島大学特任研究員・開沼博氏をパネリストに迎え、コーディネーターには法政大学社会学部の水島宏明教授を迎えました。

■いわきの街を歩いて分かった、東京では見えない事実

冒頭ではまず、ジャーナリストキャンプ中、デスクが参加者らとどう関わり、どんな問題意識を共有したのかについて振り返りました。

開沼さんは、本質を見抜いた問い掛けのない、先入観にとらわれた被災地報道が多いのではないか、と指摘。キャンプ参加者には「実際には何が起こっているのか、という問いを明らかにするように伝えた」と話しました。
開沼さんが担当した新志有裕さんの記事(仮設住宅が「見える化」する 暇すぎる独居オヤジの悲哀)では、インターネットなどで流れる「被災者はパチンコに入り浸っている」という噂の検証を出発点に、それだけでは語れない仮設住宅での高齢男性の暮らしぶりを明らかにするとともに、その実情が被災地だけの特殊な問題ではないことも浮かび上がらせました。


寺島さんは、自身が被災地を歩く中で、住民からは「(実際に現場に)来て、見て、話を聞いてほしい」という声が上がっている、と指摘。そこから話題は「東京で報じられるニュースと、現場で起きている事実のギャップ」へと移ります。
水島さんも、ドキュメンタリー番組では津波被害があった地域ばかり取り上げられていたのに対し、内陸の様子はほとんど伝えられていなかったことや、原発事故後の除染作業の様子は報じられるものの、実際に現地で線量を測ってみると状況は改善されていないという事実が全国ニュースではほとんど流れない、といった例を挙げ、「東京で見ている事実と、地元では分かっているのに東京に伝わっていないことのギャップに驚いた」と話しました。

開沼さんがいわきでのジャーナリストキャンプ開催を提案したのは、そのような問題を提起する意味もあったと言います。「マスメディアで報じられる『(復興が)進んでいる』状況と、一方でメディアが信じられずに激しい言葉で語られるSNSの中で、作られた福島像を求めてしまう。しかし、両方のイメージと違うところに報じるべき『第三の現実』があるのではないか」と話しました。

■先入観を崩せ 現場に飛び込み、共に泣く
外部から来た記者がいきなり現地に入り、知らない土地で取材を進める場合、どんな心構えで臨めばいいのか?開沼さんは「一言で言うと仮説を何回崩せるかの勝負。ステレオタイプや妥協した理解を崩していく」ことが大切だ、と言います。
「自分が変わっていくということを恐れてはいけないのがジャーナリズム、アカデミズム。今のジャーナリズムの中では、『自分が変わること』よりも『自分が混乱の中で安心できるものにすがりつく』ことが少しずつ増えている」。取材者が限られた尺の中で記事や番組を作らなくてはいけない場合は特に、お涙ちょうだいなどの「お約束」のストーリーにはめ込んでしまいがちだ、と警告を鳴らしました。その上で、「震災後に『フクシマ』と言われた時には、負の感情やスティグマと共に語られていたのではないか。そういうものを突き崩すテーマが今回(のキャンプで)出たのではないかと思う」と話しました。


寺島さんは、震災報道に携わったNHK記者らを対象に実施されたというアンケート結果を紹介し、被災地を取材する際に彼らが感じたという「無力感」について話しました。
寺島さんによると、NHK記者が放送でどんな言葉を使ったかという趣旨のアンケートに対し、記者たちからは「被災者・がれき・壊滅」といった、普段当たり前のように見聞きする言葉を使えなくなった、という答えが多く寄せられたといいます。寺島さんはこの結果を「東京という長い距離から見ればがれきに見えるものも、がれきはその人達の生活そのものだった。(記者が)当事者の思い・言葉を共有してしまった」と分析しました。


現場にいきなり放り込まれたら、無力感にさいなまれ、何も出来ずに泣くしかない状況に陥ってしまう若い記者も多いかもしれない。しかし、取材は「むしろそこから始まるのではないか」と寺島さん。「そうやって壁がだんだん溶けていく。そこからつながりができて、通い続けることでその人の周辺の変化が見え、続報という形になる。寄り添うというのは、 介護の現場のように、そこにとどまり逃げないという覚悟」と話し、限られた時間の中で結果を出す、いわば「コストパフォーマンス」を重視する報道とは一線を画した取材の在り方も提示しました。


■優れたジャーナリストとは?
「大学で福島出身の1年生と話をしていたとき、『おばあちゃんが仮設に入ったら、台所や調理道具が違うので料理が作れなくなった。そういう話ってほとんど報道されていないですよね?』と言われて、ドキっとした。こういう所に気付けるのは、優れたジャーナリストになる感性だと思った。学生でも、共感力があったり、当事者としての意識があったりすると、ある程度記事が書けるのでは」。
水島さんが紹介したこのエピソードから、ディスカッションは「優れたジャーナリストとは?」というテーマにも及びました。

開沼さんは、特定の状況や取材現場において、自分はどういう立場にいるのか、その立場から何を書くことができるのかを見定める力が重要では、と言います。

水島さんが紹介した福島出身の学生の例のように、「当事者だからこそわかる視点をメディアを通して多くの人に伝えることによって、不正が変わっていくという面があると思う」と開沼さん。一方で、「当事者ではなかったとしても、外から来たからこそできることがある」。逆に良くないのは、自分の立ち位置を見極めることなく、「あたかも中立であるかのように『正義』を語りながら、当事者に良くないような情報を発信すること」。

一方、寺島さんが考える優れたジャーナリストは、「取材先から学べる人」。「がれきを見て、がれきだ、と思うのではなく、話を聞いてその前史を感じられるか。今相手が喋っていることにはどういう意味があるのか、その意味を全く知らずに聞きかじっただけの報道は、当事者を傷つけるだけ」とそれぞれまとめました。


寺島さんと開沼さんは、それぞれ福島県相馬市いわき市の出身。取材者である一方、震災の被害を受けた土地に暮らす「当事者」でもあるお二人が語る厳しい言葉からは、現地の現実をありのままに伝えるための強い思いが伝わってくると同時に、そのために取材者が持つべき覚悟を学ぶことができました。

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次回の報告では、第二部「データジャーナリズムで常識を覆す」の様子をお伝えします。今注目が集まっているデータジャーナリズムは、ジャーナリストキャンプという実験の場でどのように作用したのか、今後のデータジャーナリズムのあり方とはどうあるべきか、を議論しました。

ジャーナリストキャンプで取材された記事は順次ダイヤモンド・オンラインに掲載されています。ぜひご覧ください!


(JCEJ学生運営委員・高橋真歩)<ダイヤモンドオンライン掲載中の記事>

<ジャーナリストキャンプの様子を紹介しています>

<パネルディスカッションのツイートまとめ>