日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)は、11月10日に『フォトジャーナリストから学ぶ「写真で伝える」ワークショップ』を開催しました。フォトジャーナリストの安田菜津紀さんを講師に迎え、フォトジャーナリストとしての心構えや効果的に伝える写真の技術、そして今後の時代における写真の役割など多岐に渡ってレクチャーして頂きました。
■安田さんがフォトジャーナリストになるまで〜フォトジャーナリストという仕事〜
フォトジャーナリストの道を安田さんが選んだきっかけは、高校2年生のとき、カンボジアへ行ったことから始まります。人身売買され虐待の被害を受けた子供たちと交流し、想像を絶する酷い虐待を受けていたにも関わらず、自分の身よりも家族のことを心配している彼らを知りました。彼らのように強く、誰かを守れる人になりたいと考え、自分にできることを考えたとき、見聞きし感じたことを他の人とシェアすることを思いついたそうです。
そして、次の年、ある1枚の写真に出会います。アンゴラの難民キャンプで、骨と皮ばかりになってやせ細った女性が、それでもなおしっかりと子供を抱いている写真。その母親の目の強さがカンボジアで出会った子供たちの目の強さと繋がり、安田さんの中に強い印象を残しました。そして、大学2年生のとき、国際NGO団体の活動の中でフォトジャーナリストの渋谷敦志氏と出会います。なんと渋谷氏は、アンゴラの難民キャンプの親子の写真の撮影者だったのです。
たった一瞬を切り取っただけのはずなのに、何年にも渡って人の心に残り続け人の心に訴えかけ続ける、そんな写真を撮る渋谷敦志氏と出会ったことが、「その一瞬のエネルギーに自分自身の思っていたこと、何かメッセージを込めてみたいなと思ったのが最初のきっかけでした」と安田さんは語りました。その後、安田さんは渋谷氏や他のフォトジャーナリストの指導を受け、現在の道へ進むことを決めました。
こうしてフォトジャーナリストとして活動をしている安田さんですが、今でも毎年カンボジアへ訪れているそうです。美しい風景や子どもたちの笑顔は安田さんにとってかけがえのないものですが、そこで見るのは必ずしも美しい風景ばかりではないと言います。
一昨年のこと、安田さんがカンボジアに滞在していたとき、村で1人のHIV感染者の男性が亡くなりました。一握りほどになってしまった彼の遺灰があがってきたとき、男性の母は「息子がこんなに小さくなってしまった」とわっと泣き出しました。側にいた安田さんは「写真を通して目の前の人を救うことはできない」と大変悔しく思ったそうです。その時、現地のNGOの職員が安田さんに話したのは"役割分担"でした。
「NGOの職員は残された子供や現地の人に寄り添うことはできるが、ここで何が起こっているのかを発信することはフォトジャーナリストの安田さんにしかできない」
この話を聞き安田さんは「決意を新たにすることができた」と語りました。
■3.11を経験して
安田さんが3.11を迎えたのは、フィリピンの田舎町にいたときでした。安田さんは、地震の規模がかつてない大きなものだと聞いてすぐに日本へ帰ります。
安田さんの義父母は、震源から近く大きな津波の被害を受けた陸前高田に住んでいました。しかし地震発生後はいくら待っても陸前高田に関する情報だけが東京へ届かず、陸前高田出身の安田さんの夫が現地へ赴くことになりました。夫からは「被害が大きすぎて、細かなニーズや現地の声を発信する人出が足りない。来てほしい」との報告を受け、安田さんも向かいました。
安田さんの義父は、首まで波に浸かりながらかろうじて助かりましたが、義母は津波被害の犠牲となりました。大きな悲しみと戸惑いが渦巻く中で、安田さんはかつて7万本の松が群生していた日本百景の1つ「高田松原」で、津波被害に遭いながら残った1本の松を撮影しました。悲しみのなかで力を与えてくれる希望の象徴に見えたその松は「希望の松」と名付けられ新聞に掲載されました。しかし、その写真を見た安田さんの義父は、安田さんを厳しく叱咤しました。
「以前の7万本を知らない人間には、この光景が希望に見えるかもしれない。だが7万本を知っている人間にとって、この写真は津波の威力の象徴以外の何物でもない」
この1枚の写真が、義父の津波体験を一瞬で蘇らせたのでした。安田さんは「自分は一体誰の立場に立って写真を撮ったのだろう」と後悔したそうです。
それから約1ヶ月後、安田さんが訪れた気仙小学校で2人の新入生が入学式を迎えました。気仙小学校は津波によって全壊しましたが避難所に指定されていました。
このとき安田さんに強く印象を残した出来事が2つありました。一つは式後の保護者スピーチでの「新入学児童2人の命はこの町みんなの宝物。その命を、この先6年間かけて磨き続けることを約束してほしい」という言葉。もう一つは、災害後初めての思い出となった入学式後の記念写真を見て、校長先生が涙を流していたこと。この入学式で、準備に関わった先生方や2人の命が安田さんに大切なことを思い出させてくれたと言います。それは何の写真を撮るのかではなく、写真を通してどういう役割が果たせるのか、それが一番大事なことだということ、でした。
災害から1年半が経ち、町の様相は少しずつ変わってきています。牡蠣漁に出る漁師の方々と話した際に、去年の3月はほとんど写真が撮れていないことを話したところ「去年の3月こそ撮っておいてほしかった、当時は殴りかかったり怒鳴っていたかもしれないが、3月に何があったかが曖昧になってきている」「このままでは同じ悲劇を繰り返すのではないか、それが心配」との言葉が出たそうです。今までのように、どこかで起こっていることを今伝えるという役割だけでなく次の世代のことを考えて写真を残すことが、次の世代の命を救うことになるかもしれない、とのことでした。
■被災地のことを伝える〜東京に生きている人にとってどんな意味があるのか〜
安田さんの東日本大震災の話を踏まえ、被災地を写真で伝えることにどのような意味があるのか、について参加者でディスカッションを行いました。
参加者からは、
「いかに悲惨であるか、その場にいなかった人に現実を理解してもらう手段」
「写真というメディアとは何か、写真ではできないものを明確にして考えていく必要がある」
「撮ったときの気持ちは風化してしまうが、生のものが写っているという現実感が伝える意味の一つなのではないか」
といった意見が出されました。安田さんは「私たちは当事者にはなれない。だからこそそこに少しでも近づく努力をしなければならない」と話しました。
■撮影技術講座〜誠意に応える方法として確かな技術を身につける〜
「一番大事なのは何を伝えたいのか、どうやって人に向きあうのかという前提に立ちつつも、やはり被写体に対する愛情もなくてはならないし、またしっかり伝えるのに必要なのはやはり技術」と安田さん。撮影の際の基礎的な技術について話して頂きました。
- 王道構図
王道構図とは、画面をタテヨコに3分割し、その交点に表情など被写体のポイントが来るように配置する構図のことで、この構図を意識することで安定しつつ単調にならない写真を撮ることができます。このとき、目線や進行方向など物が流れていく方向に空間を空けるように注意します。また、背景に余計なものを入れないようにすることもポイント。
- 表情アップ
写真を撮るときは、基本的に対象を中央に持ってくると単調になり失敗しやすい(太陽構図という)のですが、安田さんによれば表情のアップを撮るときだけは中央に置いても良いのだそう。このとき絞りの開き具合を意味するF値を下げる、すなわち絞り具合を開くことで、近くにある被写体の表情をより強調することができます。
- 下から撮る癖をつけよう
これは言い方を変えると相手の目線に合わせるということです。目線を下げることで、相手に対する威圧感を軽減することもできます。これは技術的な面だけでなく、写真を撮る相手に対する敬意を持つという大切な心構えにも繋がるといいます。
- 小技編
撮影時に逆光になってしまうとき、床など周囲にある白いものをレフ板代わりに活用することで、逆光で表情が陰る現象を防ぐことができます。
■効果的に伝えるテクニック
次に、撮った写真を人に伝えるにはどのように写真をアウトプットすればいいのか、効果的に見せる技術について教えて頂きました。
まず、写真の見せ方には2つの種類があります。一つは1枚の写真だけで見せる単写真。この方法では、写真に関する説明がなくてもその写真自体がとても強いメッセージを持つ必要があります。写真の強さは、写真に込められたメッセージがいかにシンプルで集約されているかに左右されるため、写真を見た人の視線が1箇所に留まるようなものでなければなりません。
もう一つ、複数の写真で物語を紡ぐ組写真という方法があります。安田さんによれば組写真を組む場合、原則として基本単位5枚で考えるのだと言います。
- 表情のアップ
- 引き…そこがどんな環境なのか
- 状況を詳しく表すもの…何が起きているのか
- イメージカット(例・手のアップなど)
- 4枚を繋ぐ生活感が出ているもの…見る人の気持ちが入りやすくなる
このように物語を作ることを意識しながら、わかりやすくするために、今どんな写真が足りないかを考えながら取材を進めるそうです。
では選んだ写真はどのように他の人に見せていくのでしょうか。
安田さんたちフォトジャーナリストは、その写真に関心がない人の目に、どうやって触れるようにするかをいつも心がけていると言います。例えばインターネットの場合「今何が起こっているのか」というライブ感には強くても、SNSなどの設定で見たくないものは消してしまう排他性をもっています。また紙媒体の場合は、雑誌や専門誌等に載せてもその本に元々興味を持っている人しか見ないこともあります。そこで安田さんはANAの機内誌「翼の王国」に掲載したことを例に挙げ、さりげなく手に取れる所に掲載することで、問題に関心がない人にも目にとめてもらえる、と話しました。
こうしたメディアを通した発表だけではありません。今年4月、原宿で開催された「THE FUTURE TIMES Gallery&Live」(現在は終了)では、アジアン・カンフー・ジェネレーションのボーカリストで新聞『THE FUTURE TIMES』の主宰者である後藤正文氏とコラボレートした結果、普段写真展に足を運ぶことがなく、震災に対して行動をしたことがなかった10代や20代の観客が多く訪れたそうです。アーティスト同士がジャンルを超えて協力することで、自分たちの力だけでは届かないところにメッセージを届けることができた出来事でした。安田さんは、「写真それ自体の力はそこまで大きくないけれど、信じるべきは写真を通して繋がっていった人の力なのかなと感じました」と話しました。
■プロの視点で参加者の組写真をチェック
最後に、参加者から事前に送付して頂いた5枚の組写真を参加者に発表してもらい、安田さんからアドバイスをして頂きました。
ある参加者は、出身地である大槌町の被災直後の写真と亡くなった母の写真を中心に組み『帰郷』とタイトルをつけました。泥が残っている町や防波堤に引っかかった新築の家屋、昔の思い出とリンクした遠野の神社のカラー写真と共に、車が埋まっている防波堤側の海岸の写真と母の写真をモノクロにして発表しました。
この組写真について安田さんは「もしこの組写真のタイトルが『東日本大震災』だったら、受ける印象は全く違ってきます。この『帰郷』というタイトルにより、説明がなくとも懐かしい印象を受けました」と話しました。
また、あえてカラー写真とモノクロ写真を組みにした点について、カラー写真は色の情報をたくさん入れることができる一方、モノクロ写真は色や光の情報が一切無くなるため、被写体自体(人の表情、風景が持つ表情)が持っているメッセージがより強く集約される、と解説し、「だから、車の写真もあえてモノクロにしても良かったかもしれません。そうすると、車が押しつぶされて泥だらけになっている、という最も重要なところに目線が行きやすくなります」そして最後に安田さんは、この組写真全体として「懐かしさや複雑な気持ちが一連の写真を通して伝わった」と講評しました。
その他参加者には、
「手にはその人の経験してきたことや感情がすごくよく出るので、目や手の表情を入れる」
「写真ならではの内容を伝えるために、文字や数字は入れないようにする」
「光の入れ方を工夫する」
「時間の経過で同じ場所でも見せる表情が違ってくる」
など、写真に対する技術や心構えについて様々なレクチャーをして頂きました。
■写真とは何か〜フォトジャーナリストの仕事とは〜
最後に、安田さんから「私たちは撮り手として、写真を撮る前に人の心の扉を叩かなければならないですし、今は写真を撮るよりも人の言葉に耳を傾けている時間に重きを置きたいという気持ちで臨んでいます」とまとめて頂きました。
今後2回に渡って参加者レポートをご紹介する予定ですので、ぜひご覧ください。
(学生運営員・高橋真歩)
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