#JCEJ 活動日記

日本ジャーナリスト教育センター(Japan Center of Education for Journalists)の活動を紹介しています!

「自転車だからこそ感じた大槌町」記者による新聞配布ボランティア・ルポ

大槌みらい新聞」の町内への配布は町内外のボランティアの皆さんによって行われています。東京などから参加したボランティアは活動拠点(通称トトロハウス)に寝泊まりしてもらい、自転車で仮設住宅などを訪ねて、一人ひとり手渡しして配布してくれました。おかげで、これまでに約4000部を配布し終えました。ボランティア参加者の一人で山陰中央新報記者の増田枝里子さんにルポを書いて頂きました。

おおづち町?おおつち町?

読み方だけでなく、その町の広さも分からないまま到着した大槌町。自転車のカゴには、大槌みらい新聞第1号と、出来たての第2号、期待と不安も一緒に乗せて、初めての道を走った。

東日本大震災発生から1年7か月、いつかは訪れなくてはと思っていた被災地を、「新聞配り」で少しでも応援できるのなら、新聞記者として行かないわけにはいかない、と思った。

仮設団地のドアを一戸ずつ叩くと出迎えてくれた「待ってたよ」の笑顔。時には「休んでって」の言葉に甘え、休憩し過ぎてしまうこともあった。

ようやく全戸配り終えて団地をあとにする時にもまだ、新聞に見入っている住民たちの姿を見かけると、次の団地へ向けペダルを踏む力が自然と強くなった。

舗装中の砂利道が多いためか、砂ぼこりをかぶった車が多いこと。復興作業中の、ダンプカーやトラックがたくさん通ること。海の近くの民家は、玄関が海向きにあること。いまだ津波のつめ跡がのこる、海や川の近くでも、コスモスやススキが「秋」を伝えていること。自転車だからこそ感じた大槌町がたくさんあった。

5人のメンバーで協力し、1日約800部を配布。私は小鎚地区の一部と、吉里吉里地区を周り、2日間で400軒を訪ねた。なにも関わりのない地で、自分の存在意義を感じられたのは、そこにいる人たちと私との間に「新聞」というきっかけがあったからだった。そして、それを自転車で配ることに、大きな意味があったと思っている。自らの足で行った、と自信を持って言えるからだ。

それでも2日間という短い期間の滞在で、ルポを書くことは正直、気が引けた。震災から1年7か月を経ての初めての被災地。自分が感じた気持ちを言葉にしてみても、どれも薄っぺらく、文章に書き表すことが恥ずかしいと思った。

だが、これが私の感じた全てだ。誰に伝わるかも分からない、もしかしたら誰にも伝わらないかもしれない。それでも、書くことを止めてはいけない、「伝える」ことを止めてはいけない。遠い初めての地で、改めてそう感じた。
山陰中央新報・増田枝里子)

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