#JCEJ 活動日記

日本ジャーナリスト教育センター(Japan Center of Education for Journalists)の活動を紹介しています!

「手渡しから生まれるコミュニケーションでわかったこと」記者による新聞配布ボランティア・ルポ 2

「大槌みらい新聞」は全国から集まったボランティアの皆さんや町民の方によって配布されています。配布は感想や紙面への意見を聞きながら一人一人手渡しで行われています。11月号は50人以上の方が配布に協力してくださり、現在約5000戸ある中の9割の配布が完了しました。今回配布ボランティアに参加した地方紙記者の冨岡良一さんにルポを書いて頂きました。

12月15日〜23日の期間内で参加していただけるボランティアも募集しています!興味もって下さった方は otsuchinews@gmail.com までご連絡ください。

「大槌みらい新聞」の配布作業を手伝うため、土日の休日を生かし、大槌町を訪れた。16日夜、夜行バスに乗って秋葉原を出発し、19日朝に帰還するスケジュールだ。17日午前7時過ぎ、大槌町の停留所に到着すると、現地スタッフの木村愛さんが私を含む3人のボランティアを待ち受けていた。

タクシーに乗ること約10分、山際に建つ木造家屋の拠点に着く。築50年以上というが、10人以上は滞在できるスペースがある。

朝食後、最新刊の15日付「大槌みらい新聞」を200部、自転車の前かごに入れて走り出した。ボランティア3人が同町桜木町の全家屋を訪れ、住民に新聞を手渡す。不在であれば郵便受けに投入する。

「もっと知りたいニュースはありますか。どのような情報が足りないですか」。玄関先での配布と同時に、住民にアンケートに協力してもらう。会話の話題は広がり、つい配布作業を忘れて震災や後の生活の話などに深入りしてしまう。

「涙を流しても誰にも届かない。笑ってやっている」。釜石市の家を津波で失い、移り住んだという72歳女性の言葉は、ずしりと重かった。大槌町に住んでいた長女夫妻が行方不明になり、中学・高校生の孫3人が残された。認知症の97歳の母を抱え、孫とともに仮設住宅に住む選択肢はなかった。親を失った孫に学校の友達まで失わせたくないと、大槌町に残った。「情報は足らない。復興のことなど、釜石市の情報も欲しい。東海新聞のように詳しいものがない」と、地域情報の充実したメディアの登場を待望していた。

ボランティアの役割は充分周知されているようで、住民たちの対応は協力的だ。出会う人々の年齢層は高く、その多くが若者とのコミュニケーションを待ち望んでいるようにも思えた。

昼食をはさみ、暗くなる午後4時頃までに、桜木町の配布を終えた。

翌朝は午前9時過ぎから、さらにボランティア1人を加え、小鎚地区の仮設住宅で新聞を可能な限り配布した。昼には断続的に風雨が強まった。午後、配布を終え、帰途につくと、雨合羽にまとわりつく白い粒子に気づいた。「霰だ」。拠点に戻り、初雪と知った。「写真を撮るべきだった」と嘆くがすでに遅く、夕暮れは深い。

震災から2度目の冬。未だ更地の広がる大槌町の風景は、復興に長い時間が必要とされることを否応なく実感させる。復興する町は変化していく。人々が変化に対応するために、地域メディアの復興も間違いなく必要とされている。

(冨岡 良一)

【新聞配布ボランティア・ルポ】

【学生インターンの感想】

【関連】

【支援のお願い】