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「ぼんやりとした地方コンプレックスを打ち破る」 ジャーナリストキャンプ報告・番外編

ジャーナリストキャンプ報告の連載「震災後の福島に生きる」は終了しましたが、ダイヤモンド・オンラインに掲載されていない記事を番外編としてご紹介します。
いわきの復興商店街で見た、ピンチを街づくりのチャンスに変えるプロデュース術とは。筆者・清水淳子さんのカラフルなイラストとともにご一読下さい。

ぼんやりとした地方コンプレックスを打ち破る
「復興飲食店街 夜明け市場」の凄い仕組み

いわき駅前にある「復興飲食店街 夜明け市場」。このプロジェクトを仕掛けた株式会社 47PLANNINGのメンバー松本さんにお話を伺ったところ興味深い仕組みが浮かび上がった。 (取材・文・撮影/Tokyo Graphic Recorder 清水 淳子〈しみず・じゅんこ〉)



賑やかな大都市ではなく、かといって自然たっぷりの田舎の町でもない、特に自慢できるような観光も無い。 このような、ぼんやりとしたコンプレックスを抱えている地方都市は多いはずだ。 全国共通の自治体が悩んでいるであろうこの課題のヒントとなる事例がいわき駅前にあった。 その場所の名は「復興飲食店街 夜明け市場」。3.11で浮き彫りになった問題に挑むことでスタートした復興プロジェクトだが、 これは日本全国に応用可能な町づくりビジネスでもある。 魅力的なヒトやモノを惹き付ける磁力のある街づくりとは一体どのようなものかを 「復興飲食店街 夜明け市場」を通して考えてみよう。



■3.11でのシャッター横町と被災者を繋ぐ

「復興飲食店街 夜明け市場」は、名前の通り一見よくある復興支援である。 が、他の復興支援とはひと味違う。 このプロジェクトを仕掛けた株式会社 47PLANNINGのメンバー松本さんにお話を伺ったところ興味深い仕組みが浮かび上がった。


■一時的な支援ではない継続的なしくみ作り

震災後、復興の為の支援が不足していた訳ではない。 ご存知の通り、行政や多くの支援団体が復興への道しるべを照らしていた。 だが学校の横にパラックでお弁当をつくって売るプラン等、本質的な解決とは程遠い一時的な応急処置が多く、 じっくりと長く自主運営できる継続的なプランの提示は少なかったようだ。 店舗を失った人たちが求めていた環境とのギャップは激しかった。 そこで47PLANNNINGは少ない資金でもじっくりと再スタートできる環境を用意した。 築40年という古さがネックで借り手がつかなかった駅前のシャッター通りの建物を 飲食街としてプロデュースしたのだ。


■ピンチをチャンスに賑わいを生み出したい。


被災者、よそ者、地主、みんな集まれ

「復興飲食店街 夜明け市場」と通常の復興支援の違いは受け入れの広さにある。 通常行政やNPOが生み出す支援プランだと細かい規定が出てきてしまう。 が、「復興飲食店街 夜明け市場」は様々なバックグラウンドを持つ人々が集まる。 店子として参加する為の条件は「いわきを元気にしたいか?」ということだけ。

■いわきは東京より「元気」がある


■夜明け市場は生活の基盤となる仕事ができる場所

■何の縁も無かったが店長に!

■「復興」の冠が取れる日を目指して

近い将来「復興」を取りたいとメンバー達は語る。 その時に、もはや被災地ではない「いわき駅前」の本当の魅力が問われるのだろう。 大都市でも大自然でもない街は、一体何を売りにすればいいのだろうか? しかしその心配はいらない。 東京からUターンする草野氏や、生粋のいわき人である北郷氏、何の縁も無くても愛を持って店を運営する山越氏 そのように様々な思いを持って集まる人々が作る夜明け市場の文化が街全体に広がり 個性的な雰囲気を作っていくのではないかと想像する。 「夜明け市場」の本当のデビューの日が楽しみだ。


執筆者プロフィール
清水淳子 1986年生まれ、多摩美術大学出身。デザインの視点を軸に横断的な事業開発や商品流通を生むためのプロジェクトに携わるクリエイティブ ディレクターとして勤務する。また未来に残したい議論を絵で記録するwebマガジン「Tokyo Graphic Recorder」を運営中。 ジャーナリストキャンプ福島では、河北新報編集委員の寺島英弥デスクのチームに所属した。


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